連載ビジネス人物学「深智録」

☝法人会員・個人会員・Web会員にご入会いただくことで、過去の全ての「深智録」をご覧いただけます。

渋沢栄一・カーネギー・二宮尊徳・ピーター・ドラッガー・近江商人・石田梅岩・アンドリュー・カーネギー・トーマス・エジソン・岩崎弥太郎・ヘンリー・フォード・クレイトン・クリステンセン・ビル・ゲイツ・スティーブ・ジョブズ・田中久重・ジョン・ロックフェラー・松下幸之助・その他、世界を変えた経済人・経営者について深い視点で学ぶことができます。

【深智録ピックアップ】

これまでの深智録の中からピックアップします。ご入会していただくと初回の深智録から全てをご覧いただけます。

第214回 深智録「目標管理法:ジョン・ドーア

「起業家の育成とベンチャーキャピタリスト」

 日本の企業が、21世紀を引っ張っていけるかどうかを考えるとき、どうしても欠かせない精神が「起業家精神」(entrepreneurship)であり、その起業家を支援するベンチャーキャピタリストの存在です。革新的な技術やビジネスモデルを伴って起業し、短期間で急成長するスタートアップ(新興企業)について、日本はアメリカや中国と比べて出遅れていると指摘する声が、多く上がります。かつて(60年代~80年代)は「ものづくり大国」として、技術的なイノベーションはお家芸だったはずの日本で、なぜ、スタートアップが育ちにくいのか。スタートアップを投資面で支援するベンチャーキャピタリストはいるのか。こういった疑問は、明日の日本の運命を左右する大きな問題として、根本的に検討すべき課題として受け止めなければなりません。

日本政府によると、現在日本には約1万社のスタートアップがありますが、世界のスタートアップのうち、1割以下という少なさです。それでも数年前に比べれば増えていますし、ベンチャー企業やイノベーションに対する人々の意識は高まっていると思われます。大学や政府、大企業のイノベーションに対する関心は強くなっており、大きな変化が起きつつありますが、グローバルの水準で見たとき、スタートアップやイノベーションのハブになれるかというと、まだあと一歩足りないという印象は否めません。

GoogleAmazonを育てた男」

 アメリカを参考に考えてみましょう。アメリカには、GoogleやAmazonなどの世界的な影響力を持つビッグテック(Big Tec)がありますが、その背後には、大胆なアイデアをスタートアップさせる若者とそれを支援するベンチャーキャピタリストの密接な関係が見られます。例えば、ジョン・ドーア(John Doerr、1951~)は、Google、Amazon、コンパックネットスケープシマンテック、Twitter(現在はX)など、初期段階から投資面で一流企業としての現在まで、関わり、育て上げてきたベンチャーキャピタリストとして、稀有な投資精神を発揮していますが、このようなタイプの人間は、日本では滅多に現れませんし、そもそも、スタートアップするチャレンジ精神を持つ若者が少ないというわびしい現実があります。決して、日本がだめだというわけではありませんが、冒険をしない若者、冒険を後押ししない投資家といった負の消極作用が支配的な空気になっています。これでは、21世紀の世界経済をリードする国家たることはできません。

ジョン・ドーアは、現在、世界的ベンチャー・キャピタル「クライナー・パーキンス」の会長を務めていますが、1980年、クライナー・パーキンス・コーフィールド・アンド・バイヤーズに加わり、Amazon、Google、Twitter、ネットスケープなど多くの世界的な成功企業に初期段階から投資し、彼が投資した企業は時価総額で、世界2位と3位の大企業へ成長を遂げました。その伝説のジョン・ドーアが、Googleに教えた成功手法が「OKR」です(目標=Objectiveと主要な結果=Key Resultの頭文字をとったもの)。ドーアは、投資家であると同時に、卓越した経営のアドバイザーでもあったのです。

2024年2月9日

共創日本ビジネスフォーラム

第213回 深智録 「USJをV字回復させた男:森岡毅④」

「森岡毅は自身をどのように語るのか」

森岡毅氏は、10代の頃からRPG(「ドラゴンクエスト」のようなロールプレイングゲーム)をずいぶんやっと言っています。多くのRPGのテンプレになっているのは、勇者、戦士、僧侶、そして魔法使いの4人構成です。それぞれに役割があって、戦士は物理攻撃と防御に突出したパーティーの盾、僧侶は仲間を死なせないための回復魔法の専門職、魔法使いは虚弱ですが攻撃呪文で派手に敵を殲滅(せんめつ)します。で、問題は“勇者”なのですが、特異な運命を背負って生まれた物語の主人公で、万能型の能力を持ち、そしていつもリーダーです。しかし、森岡氏自身は得意と不得意にメリハリのついた凸凹タイプなので、何でもできる“万能型”は羨ましいと感じるだけで、あまり共感できなかったと述懐します。どこかに尖った専門職の方が感情移入できるので、「なんで僧侶が主人公やリーダーじゃいけないの…?」といつも疑問に思っていたそうです。

何か特殊な運命や能力、“特別な人”だけが「リーダー」になっていくのだという刷り込みを、森岡氏自身は子供時代から何度となく刷り込まれてきました。伝記などで目にしたり聞いたりする「リーダー」は、どう考えても身近な人間に思えない。結局、我々は自分とはあまりに違う特殊な人ばかりをリーダーとして“学習”してきたと言います。

したがって、物語では、ハリー・ポッターは生き残った“運命の子”、アーサー王しかエクスカリバー(剣)は抜けないというような話になってしまいます。歴史的人物を見ても、例えば織田信長のような人物は、その出自も性格も能力も異常としか思えない。近現代の立志伝中の人物も、例えば松下幸之助の伝承は素晴らしすぎて、本当だろうかと疑うほど、自分が真似できそうとはとても思えないというわけです。

「共同体のために人を動かすことがリーダーシップの機能である」

しかし、現実をよく考えると、そんな雲の上の話だけではなく、実に身近なところにリーダーシップが必要なシーンがゴロゴロ溢れていることに気付くのです。人間は、群れをつくって生活することを好む社会性動物です。人が何人か集まってグループで行動すると、その中に自然な流れとして“みんなをまとめて指示を出す人”が現れます。職場にはもちろんいますし、家族で集まっても、他愛のない仲間の集まりであっても、選挙やジャンケンで決めたわけでなくとも、そうなっていきます。なぜなら、そうやって誰かが総意をまとめないとグループ全員で不幸になってしまいます。リーダーシップが求められるのは、グループのより良い存続のためにその“機能”がどうしても必要だからです。

リーダーシップの機能を端的に言うと、共同体のために「人を動かすこと」です。グループ全体としてベストに近づくように人々を動かす力。相手に影響力を行使して、その人を動かして共同体の目的を達成する確率を高める力。そしてその能力は、特別な運命や能力を背負った“勇者”でなくても、僧侶でも魔法使いでも、魔法が使えない戦士でも「言葉」さえ使えれば発揮できるはずです。こういう視点から、「リーダーシップは誰もが身につけられるスキル」と断言し、リーダーシップは先天的ではなく、後天的であると語る森岡氏です。

2024年2月5日

共創日本ビジネスフォーラム研究所

第212回 深智録 「UFJをV字回復させた男:森岡毅③」

「マーケティングの戦略思考、その5項目」

 戦略思考と言った場合、その中にどういうことが含まれているかということになりますが、森岡氏は、5つのフレームワークを示しています。①戦況分析、②目的設定、③ターゲット、④提供価値、⑤どう売るか、の5項目です。

第一に、戦況分析というのは、どういう戦場であるのか、勝てる戦場で戦う必要があります。資源は限られていますから、むだな努力の要らない、勝ちやすい場所で戦うことです。第二に、目的(ゴール)設定ですが、ここでは、低すぎず、高すぎずという達成可能なギリギリの目的を設定するのがいいと言います。その理由は、誰もが共有可能なシンプルで魅力的な目標設定がベストということです。第三に、ターゲットですが、どのような顧客に資源を投下するかということ、顧客にふさわしくない層に資源投下しても無駄になります。どの顧客に対して、予算を投下するか、価値を訴えていくべきか、決めなければなりません。

第四に、提供価値です。これは、顧客が欲する価値を提供する以外にはないわけですが、お客様にとって「ベネフィット」、すなわち、「役に立つ」「利益となる」という満足感(喜び)が、提供された商品・サービスによって得られることに尽きます。第五に、どう売るか、これは提供価値をターゲットに届ける仕掛けになります。①売り物(商品)、②売値(価格)、③売り場(顧客接点)、④売り方(情報発信)、これらの4つは、Product, Price, Place, Promotion, と言いますから、4Pとなります。この四つは、マーケティングミックスと呼ばれます。

「企業の醍醐味とは何か」

戦略的に考え抜かれたマーケティングは、戦略思考の上にしっかりと乗っかることになりますが、言うほど簡単ではないと見るべきでしょう。たとえば、提供価値ですが、これには通り一遍の着想でお客様を満足させようとしてもさほど満足してもらえない場合もありますので、よほどのアイデアが必要となる場合があります。

森岡氏の著書に『USJのジェットコースターはなぜ後ろ向きに走ったのか?』という本があります。2001年の開業年に年間1100万人を集客しながら、その後、700万人台まで落ち込んでいたユニバーサル・スタジオ・ジャパンを、“3段ロケット構想”でV字回復させた立役者、森岡毅氏ですが、しかし、森岡氏はお金もない、人も足りない、9回裏ランナーなしの状態から、「後ろ向きに走るジェットコースター」を発案し、社内も理解してくれない中、そのずば抜けたアイデアを実現化する道のりが、すんなりと進んだかと言えば、そんなに簡単なことではありませんでした。その後は、次々に、ヒットを連発させた森岡氏です。提供価値の中に驚異的なアイデアが潜んでいる場合もありますから、マーケティングは簡単なことではありません。人様に喜んでいただくというのは、これほど社会が消費者志向の哲学で頑張っているのであるから、たいていのアイデアは出尽くしたのではないかなどと言っている場合ではないのです。何が出てくるかわからない宝の森で、目指す宝物を見つけなければなりません。あらゆる企業は、そのような醍醐味を持っているに違いありません。

2024年1月29日

共創日本ビジネスフォーラム研究所

第211回 深智録 「UFJをV字回復させた男:森岡毅②」

「広いマーケティング視点を持て」

 森岡毅氏は、2010年、UFJにCMO(最高マーケティング責任者)として就任しますが、それは、もちろん入場者低下の危機を克服する役目を負って、大改革の使命を断行するためであったと言ってよいでしょう。結果は、V字回復の大いなる復活劇でした。様々な取り組み、意識改革など行いましたが、ざっくり言えば、「Consumer-Driven、消費者視点」の会社として、マーケティングの価値観と仕組みをUFJに根付かせたことです。そのことを彼自身語っています。消費者視点への転換は、言葉だけでなく、営業、接客、人事、企画、開発、製造など、すべての分野において、すべての社員がお客様のほうを向き、会社組織の意思決定を消費者視点でドライブしていくということです。

マーケティングの本質は、「売れる必然」を作り出すことにあり、B to C(法人 対 一般消費者)においては、3つの顧客接点を制することが重要だと森岡氏は言っています。まず、第一に、「顧客の頭の中を制する」こと、これは、ブランド資源と呼ばれる一定のイメージを持ってもらうことが重要であるという意味です。その一定のイメージがポジティブな働きをして、購入につながっていき、より選ばれやすくなるということです。この一連のプロセスを「ブランディング」と呼びます。第二に、「店頭を制する」こと、これには3つの要素が重要になります。①配荷率:どれだけの店舗で扱っているか、②山積:店頭での目立つディスプレイ、③価格:狙った販売価格で売られているか、の3つです。言い換えれば、ブランディングに成功しても、実際に購入できる場所がなければ、成果につながらないということです。第三に、「使用体験を制する」こと、これは、マーケティングで最も重要なことは、「一度買ってもらう」ことではなく、「繰り返し買ってもらう」ことであり、そのためにには、実際に利用する際の使用体験を制することが重要になるのです。ある程度の期待感をもって購入したお客様が、使って期待感を超えた場合はリピーターとなり、期待感を下回った場合は一度きりで終わります。それゆえ、営業・販売する人だけがマーケティングを考えるのではなく、商品企画、生産の段階で消費者視点を持つことが大切なのはもちろんのこと、

全社がお客様視点で仕事をしなければならないということです。このように見てくると、マーケティングは広い領域にわたります。広いマーケティング視点が成功につながります。

「日本よ、マーケティングを磨け!」

 こう見てくると、UFJのV字回復の裏側には、全社を挙げての意識改革が進行していたはずであり、森岡毅氏の戦いは、目の前の改革改善といったものではなく、全社を巻き込んだ一大マーケティング革命と言ったほうが良いほどのものだったと思われます。

たとえば、商品の品質はいいのにマーケティングができない日本、商品の品質はそれほどでもないのにマーケティングがうまいアメリカという場合、日本の企業はだいぶ損をしていることになります。職人気質、匠の世界では、断然、日本、しかしマーケティングでは中国、韓国、米国に越されてしまうというようなことが起きないように、日本はこれからもっとマーケティングを磨かなければならないと言えるでしょう。

2024年1月22日

共創日本ビジネスフォーラム研究所

第210回 深智録 「USJをV字回復させた男:森岡毅①」

「USJをV字回復させた男」

 USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)は、大阪市此花区に所在するテーマ・パークです。2001年3月31日に開業しました。開業初年度から1000万人を超える集客力を見せて、世界をあっと驚かせました。しかし、その後は、開業初年度の業績を超えることなく、入場者数は横ばい、もしくは漸次減少という現実にぶつかり、企業幹部たちの間にも焦りが見られるようになりました。そういった経営上の危機感の中で、一人の人物が登場します。彼こそが森岡毅氏その人であり、USJを奇跡のV字回復へ導いた男です。

森岡毅(1972~)氏は、神戸大学を卒業したのち、1996年、米国の企業P&G社に入社し、日本ヴィダルサスーン、北米パンテーンのブランドマネージャー、ウエラジャパン副代表などを経て、2010年に、USJに入社します。彼がUSJに入社したタイミングは、まさに、USJがテーマ・パーク企業として起死回生を図るべく、もがいているときでした。その期待に、森岡氏は見事に応えます。

すべての企業に言えることは、製造した商品、もしくはサービスが多くの顧客に迎えられるかどうかです。消費者の満足感を獲得できなければ、企業の存続は不可能です。ここに、企業が「マーケティング」と呼ばれる考えを重視せざるを得ない理由があります。

森岡氏が日ごろ感じていたこと、考えたことなどは、彼の多くの著書の一つでも読めば、分かることですが、一般的に、日本企業の特徴として、米国が熱心に取り組んできた「マーケティング」が、日本では脆弱であるという指摘です。マーケティングを極めていくと、「作ったものを売る」会社が、「売れるものを作る」会社に変わるという変化が起きるようになります。生産者の目線から消費者の目線に視点が変わるということです。

「マーケティングの重要性」

日本において、マーケティングの発達が遅れた理由は、自由競争がなく政府や当局に守られた緩い市場競争が続いていること、マーケターが育たない文化や有能なマーケターを嫌う傾向があること、顧客価値ではなく技術ありきの商品開発に陥っている状況があること、などの理由によって、会社にたとえマーケティング部があるにせよ、営業の後方支援ぐらいにしか考えられていないという現実が多く見られることです。

マーケティングは戦略的に思考すべきだと森岡氏は言います。戦略思考が必要な理由は、「達成したい目的がある」からであり、「常に資源(時間、お金、人材、情報といった経営資源)は不足している」からです。重要なことは、①目的、これが一番であり、次に②戦略、その次に③戦術、という順序です。この順序の通りに、ブレずに考えることです。「論理的思考」(目的)が大きく全体を包み込んでおり、次に「戦略思考」(資源(時間、お金、人材、情報)の配分)が、資源の具体的な配分を決めます。最後に、「マーケティング思考」(消費者目線)のところに、目的と戦略を落とし込んでいきます。最後の到達地のところでマーケティング思考にすべてが集約されることを考えるならば、消費者目線(Consumer-Driven)とマーケティング思考の重要性は、夫婦のように一体となって寄り添うのです。

2024年1月15

共創日本ビジネスフォーラム研究所

第十六回 深智録「『世間よし』の社会的貢献に生きる近江商人」

 「社会のために生きることを片時も忘れない」

 「売り手よし、買い手よし」までは分かりますが、「世間よし」になると、近江商人はそこまで考えるのかという驚きが、誰でも沸き起こることでしょう。松居遊見(1770-1855)の質素倹約の話はいろいろとエピソードに事欠くことがありません。たとえば、外出の時には、雨でも草履をはき、雪駄や下駄は履かなかった、旅に出ても宿に着くと主人に藁を貰い、明日の旅のために草履を作ってから寝たなど、徹底的に倹約を実践しています。

このような生きざまは、奢侈に流れやすい現代人からすれば、その極限の倹約がけちん坊とか吝嗇家に見えると考えるならば大間違いです。自分のことは倹約の中に閉じ込めておいて、他人のため、社会のためとなれば、思い切り、出費する精神を持っています。

松居遊見は、天保の大飢饉(1833-1839)や東本願寺の焼失(1823)、京都御所の焼失(1853)などが起きたときには、それぞれ数百両を寄付しています。豪商で知られる松居遊見ですが、衣食住は極めて質素で、ただ陰徳を積むことのみを喜びとしたという聖賢の人格が輝き出ています。このように、近江商人には、「世間よし」を標榜し、実践する高邁さがあり、ただの商売人ではない「すごさ」があることを、現代のわたしたちも心に刻むべきでしょう。

「日本人には心の温かさがある」

 ピーター・ドラッカーが日本の経営者たちを研究して驚いたことは、社会的貢献という面において、非常に優れた人物が見られるという驚愕の事実です。その筆頭に、渋沢栄一を挙げていますが、二宮尊徳しかり、近江商人しかり、日本人は自己中心に徹しきれない心の温かさがあるということでしょう。明治以降の近現代の経済人のなかにも多くの賢人たちが見受けられます。

世界はもっと過酷な競争と駆け引き、謀略などでしのぎを削って競争相手を陥れているといった印象を受けますが、大同小異、それは日本でも同じことであるとしても、それでも利他心を拭い去ることのできない民族的遺伝子が日本人の心には眠っていて、ことあらば、「利他」にみずからを投げ出す人々が大勢いるということです。商売も儲かればそれでいいという考えで走る人はそう多くはいないはずです。

道徳を重んじる商道の精神は、必ずそれぞれの企業の方針にほぼ例外なく掲げられています。そのことを見ると、商道徳の極意を見せた近江商人たちが残した精神がその子孫たちに受け継がれ、また拡散されて、今日でもなお、「三方よし」の精神で活躍している多くの企業人たちの姿があり、「売り手、買い手、世間」の三位一体構造のどれ一つが支障をきたしてもいけない理想の商売の在り方を探求し続け、取り組んでいると言えるでしょう。責任、誠実、倫理、勤勉、社会奉仕など、多くの視点から、商売は絶えざる自己検証を求められています。いい加減なことをして、信用を失うと再起するまでが大変です。近江商人など先人が見せてくれた教訓は積極的に生かすべきです。

共創日本ビジネスフォーラム研究所

2019年9月3日

第十五回 深智録「近江商人の代表的な理念」 

 「どこまでも利己ではなく利他を優先する」

広く人口に膾炙している近江商人の精神は、「三方よし」(売り手よし、買い手よし、世間よし)ですが、これは勿論、利己的な商売を戒め、世間を含めて、みんなが満足して幸せになるというあるべき商いの道徳を核心的に説いたものです。このほかにも、代表的な商いの精神を述べたものがあり、近江商人の成功が非常に精神的に高い道徳観に支えられていることが分かります。

「しまつして、きばる」とはどういうことでしょうか。これは近江商人の共通理念となっており、近江商人の商法は、少ない利益でも、よい商品をたくさん売ることで儲けを増やす薄利多売の商法でしたから、日々「気張って」働き、薄利であるので、「始末する」(無駄遣いしない)ことを必要とし、多売のため、どうしても「きばる」ことが求められました。

「先義後利栄」は、「義を先にし、利を後にすれば栄える」の意で、利潤追求が第一ではなく、利益追求を後回しにしてこそ商売は繁盛し、その家は栄えるのだと言っています。利益追求よりも義理人情を大切にしなさいという助言です。利を求めるあまり、思いやりや人情を蔑ろにしてはならないと戒めています。

「お助け普請」という言葉は、地域の活性化を目的として、不景気対策のための公共事業を行った近江商人の取り組みを言いますが、当時、天候によって自然災害が発生することが多く、それによって不作、凶作に陥ると、商売も痛手を受けます。そうなる事前に、予防的、防衛的な意味をこめて、近江商人たちは積極的に「お助け普請」を行ったのです。災害でやられる前に、公共事業で被害の最小化に努めたというわけです。

「勤勉こそが近江商人の魂である」

 「出精専一」は、「出精専一之事、無事是貴人、一心、端心、正直、勤行、陰徳、不奢不貧、是大黒」の家訓を残した松居久右衛門の言葉から採ったものですが、「出精専一」という言葉はひたすら精を出して勤勉の道を歩めと言っています。

松居久右衛門の分家に当たる松居久左衛門(1770-1855)は、法名を松居遊見と言い、一生涯絹布をまとわず、木綿や麻布で通した不奢(贅沢をしない)の人でした。しかし、彼の勤勉は久右衛門の言う「出精専一」の通りで、天秤棒を担いで行商に出る生活を悠々と楽しんだのです。中山道を歩いていた時、連れの人が「この辺りは険しい峠で難儀なことです」と言ったとき、遊見は「いやいや自分はそうは思いません。こんな峠が十も二十もあればと思います」と答えました。怪訝な顔をしている連れに、「山道が険しくて、難所が多ければ多いほど、人は来ません。人のいない所へ行ってこそ、金が儲かるというものです。」と言ったという逸話があります。

この話に表れている松居遊見の精神こそ「出精専一」そのものであると言えます。勤勉を旨とする近江商人の商いが、その後、日本経済の流通の血脈を握っていくことになるのは、宿命的であったと言えるかもしれません。

共創日本ビジネスフォーラム研究所

2019年8月26日

第十四回 深智録「〈商売の背後に神仏あり〉の近江商人」

 「中村治兵衛の遺訓に見える精神」

  近江商人の家訓として、非常に有名になっている「売り手よし 買い手よし 世間よし」というのがあります。この言葉の出所となった資料ですが、近江の人である中村治兵衛が跡継ぎに書き残した家訓の中に、「たとえ他国へ行商に出掛けても、自分の持参した衣類等の商品は、出向いて行ったその国のすべての顧客が気持ちよく着用できるように心がけ、自分のことばかり計算して高利を望むようなことをしてはならない。」と書き残し、さらに「自分の心に悪心の生じないように、神仏への信心を忘れないこと。」と書いています。江戸中期の1754年(宝暦4年)11月のことです。この中村治兵衛の言葉がどうやら「三方よし」の近江商人の精神の出処を示したものとして、後世に伝わったと考えられています。

三方よしの精神はどこから来るのかと考えますと、中村治兵衛の遺訓の中の言葉、「神仏への信心を忘れないこと」がカギを握っていると見られます。神仏への信心がなければ、いくらでも欲心を起こす可能性がありますし、自分さえよければよい、売ってしまえばこっちのものだ、高く売りつけようなど、「商いの道徳」は吹き飛んでしまいます。「自分の心に悪心の生じないように」と中村治兵衛が忠告した通り、欲心や悪心を出すとその人の商売は「信用」という一番大切なものを失ってしまいます。誠実な商売は、神仏への信心なくして、成り立ちません。近江商人の世界は深く神仏と繋がっているのです。

「信心がなければ商売はうまくいかない」

 江戸時代には、債務を負った藩の財政の困難を助けるために、「大名貸」にまで手を広げた近江商人ですが、そうなると、やり方を間違えれば、逆恨みを買う羽目になることもあり、金貸しの世界は簡単ではありません。欲心は禁物です。

そうは言っても、金利をのせてお金を貸すのが金融経済の基本です。近江商人が商才を持つゆえに、世間から恨まれ、逆恨みを買うことなどは、彼ら自身、非常に多く経験したはずです。ここに「信心」の持つ意味が隠されているのです。

恨まれないで感謝されるように商売をしたい。今儲かればよいという短絡的な考えではなく、長い目で考えて取り組むという姿勢が何より大切なことは近江商人の胆に刻まれた教訓であったはずです。「利真於勤」(利は勤るにおいて真なり=利益はその任務に懸命に努力した結果に対する「おこぼれ」に過ぎない)をモットーとするようになった近江商人たちは、収益至上主義を諫める気持ちを抱いていました。投機商売、不当競争、買い占め、売り惜しみなどで、荒稼ぎするようなことはよくないという考えを持ったのです。「陰徳善事」の善行(人知れず善い行いをする)に励んだ近江商人は、神社やお寺によく寄付することを忘れませんでした。商売がうまくいくのも神仏の御加護によるものであるという謙虚な気持ちを持ったわけです。ほとんどの近江商人の多くは、地域社会へ積極的に寄付を行っています。今で言う「企業の社会的貢献」です。社会的貢献という利他性は、しばしば、「人様のために役立つ」という信仰心から生まれるものであることは明白です。

共創日本ビジネスフォーラム研究所

2019年8月7日

第十三回 深智録「近江商人の誕生とその活躍」

 「近江商人の歴史的背景」

 近江商人は、その名の通り、近江の地(琵琶湖を取り巻く現在の滋賀県の地域)から生まれた商人たちのことで、地元を離れて、遠く、全国各地に遠征して商業活動を展開し、その商売を大きく成功させた商人たちのことを言います。

歴史的に、起源を追いますと、鎌倉幕府や室町幕府の武家政治が行われるようになった中世日本の世の中において、商いが活発になり、東西の商品流通の行き来の際に重要な交通の要衝となった東山道・東海道の地の利がもたらす恩恵が、近江の地にはありました。そういう土地柄であることから、古くから座(同業者組合)を結成し、商いをするものが多く、その結果、商いの才に長けた者たちがこの地から育っていったものと見られます。

中世から活発な活動を行った近江商人の先駆けと見られるのは、若狭国へ出かけて行商を行った集団(五箇商人)、伊勢国の桑名へ出かけて行商した集団(四本商人)などがありますが、特に、保内商人は近江商人のパイオニア的集団としての活動を行っていたと考えられます。保内商人は、近江国蒲生郡にあった延暦寺東塔の荘園である得珍保を拠点としながら、座(商人たちの同業者組合)を中心に結束を図って、商業に専心していました。

保内商人は座において様々な細かい取り決めを行い、商業活動に関する特権的、独占的立場を保持していたと思われます。いずれにせよ、延暦寺の荘園の中で守られながら、特権的商業集団が生まれたことが、近江商人の起こりであり、また、商売の才を磨くに相応しい東西の交通の要衝に近江が位置していたことも併せて考えると、近江商人の誕生は、歴史の中で、一つの必然性を持っていたと言えるかもしれません。

「日本列島で活躍する近江商人の商魂」

近江商人の活躍は、江戸時代に入って、日本各地に広がり、京都、大阪、江戸の大都市での商いは勿論のこと、遠く北海道(蝦夷)にまで活動を伸ばす者も現れます。商機あるところには近江商人ありと言ったところです。

江戸時代の幕藩体制のもとで、幕府の財政と各藩の財政は密接につながっており、幕府が窮すれば、そのしわ寄せは藩に掛かってくるのは必然の道理で、藩は借入財政に陥る場合が多く、その際、有力商人から金銀を借りて収支を図るという方法に頼ることが一般的でありました。この「大名貸」(だいみょうがし)に多く関わったのが近江商人です。恒常的な債務に苦しむ諸大名たちと「大名貸」で付き合う近江商人たちの関係は、その間に、知恵と忍耐と提言などを挟んで、いつしか藩が潰れたら自分も潰れるという運命共同体として近江商人たちは藩財政の維持に力を貸したのです。

さらに、商売への思いから、売れ筋の「酒」や「味噌」「醤油」に直接かかわる者まで現れます。すなわち、醸造業を起して商いをする近江商人の姿も見られるようになりました。このように、生まれ持った商売の知恵は、江戸時代には、全国至る所で開花して、近江商人あって初めて経済が成り立つと言ってもよいほどに、その存在感を示すのです。

共創日本ビジネスフォーラム研究所

2019年7月29日