深智録 第101回「経済学と経済の実践:マンキューとティール」

「経済学と経済の実践は共に必要である!」

 21世紀の現時点において見た米国の特徴的な二人の人物、マンキューとティールは、経済学の理論を磨いた人物と経済を具体的に実践する人物という相違はあるものの、二人とも、人間の幸せを経済の側面から探求している事実は共通であり、その意味で、経済学も経済活動の実践も共に人類の幸福を実現するために必要とされるものです。

 マンキューに関して言いますと、ケインズの流れに位置しているとは言え、彼自身は、共和党寄りであるため、健全な自由主義と保守主義を好む傾向を有していると見られます。

 マンキューの「経済学10大原理」は、大きく言えば、①経済社会において、人々はどのように合理的な意思決定を行うのかという問題、また、②人々は、経済活動、経済行為において、どのように影響し合うのかという問題、さらに、③国家全体において見るとき、経済はどのように動いているかという問題、を10大原則にまとめたわけですが、非常に難しい問題は③の国家全体の経済の動きの複雑性と難解性です。これについては、マンキュー自身が、(ⅰ)金融機関の役割、(ⅱ)レバレッジの問題、(ⅲ)金融政策の限界、(ⅳ)予測することの難しさ、の四つを挙げています。

 1990年から2010年の20年間を見ると、米国は、湾岸戦争、9.11テロ、イラク戦争、アフガン戦争、サブプライムローン問題、リーマンショックといった出来事や事件で二進も三進も行かない状態でした。こういう困難な時代の経済は、非常に複雑になるのは当然ことで、経済を変動させる変数が多く、複雑に絡み合うということです。これが分析の難しさに繋がります。それでも経済学は、人類の幸福のための経済は何かという問いに対する的確な答えを見出すことをあきらめるわけにはいきません。経済の在り方の本体的な姿、人類の幸福と福祉を約束する経済の姿を明らかにする挑戦を続けるでしょう。

「ティールは国家の法と秩序のもとに経済を考える」

 ティールは、スタンフォードで、哲学と法律を学んだのち、レーガン政権下で教育長官を務めたウィリアム・ジョン・ベネット氏のスピーチライターを務めました。麻薬と同性愛に沈んでいく世紀末的な米国の姿を憂慮するベネット氏は、「子供のための道徳本(The Children’s Book of Virtues)」(1995年)などを世に出し、米国の再生に尽力しましたが、氏を背後で支えた人物が、ピーター・ティールであった事実を見落としてはなりません。

 ベネット氏を支えたティールは、その意味で、GAFAなどが取る姿勢とは全く違うものを持っています。経済を上において、国家の権威や法にも逆らうGAFAの傲慢性とは違い、ティールは、国民は、国家の法の下におかれた法と道徳、そして秩序に従うべきであり、経済活動もそうあるべきだと主張します。彼が、熱心なクリスチャンであるトランプに寄り添う理由が分かります。また、中国のような国家を好きになれない理由もうなずけます。中国にくっつき、経済的利益のみを追求することに熱心なGAFAとは相性が悪いのです。シリコンバレーのドンと言われながら、シリコンバレーに辛辣な苦言を呈するティールは、皮肉なことに、シリコンバレーの「異端児」です。彼は、いい意味でIT業界の革命児です。

2021年7月19日

共創日本ビジネスフォーラム研究所

 

 

深智録 第100回「シリコンバレーの革命児ピーター・ティール」

 

「パワフルで自由な精神の羽ばたきを行動に移すピーター・ティール」

 ピーター・ティールは、スタンフォードで哲学を学んでいますが、彼は物事を深く考え抜き、洞察し、そういう中から直感でひらめいたアイデアを非常に大切にするところがあります。思い切ったことを実践する行動力は、彼の優れた特徴であり、それ故に、起業家として立つことが多く、実際、多くの会社を起こしています。また、優良な魅力ある企業と見込んだ会社に対しては、投資を行っていることから、投資家としての顔も持っています。

 ピーター・ティールを見るとき、彼の見識がいかに高いかに注目せざるを得ません。テクノロジーの聖地シリコンバレーにあって、彼はそのシリコンバレーにいら立ちを隠せません。シリコンバレーのテクノロジーが大きなビジョンを追うこともせず、イノベーションを推進することもやめているような現状では話にならないと言います。

 現代世界の深刻な停滞を打ち破るのは、イノベーションとテクノロジーであるはずですが、そのテクノロジーが果たすべき社会的責任をきちんと果たしていないとし、テクノロジーは人間に奉仕し、世界を改善するために役立てるべきであるのに、果たして、テクノロジーはそういう役割を果たしていると言えるのか。こう問いかけるティールの言葉は非常に重いものがあります。ティールは極めて倫理的な人物であるように見えます。

 ティールの言葉は、テクノロジーの成果であるPCやスマホが溢れている世界の現状があるのは認めますが、それで、世界の人々はもっと夢を抱いて良く生きることができているのか、テクノロジーは世界と人々に良い意味での貢献を果たしているのかという痛烈な反問です。テクノロジーが悪用されるような現実を、彼は厳しく見ており、人々に壮大な希望と夢を与える真のテクノロジー世界こそが、目指すべきものなのだと主張しています。

「健全なアメリカと世界を目指すことに貢献する」

 ピーター・ティールが、2004年に立ち上げたソフトウェア企業「パランティア」は、アメリカ国家の中枢に入り込んでいます。「パランティア」(Palantir Technologies)は、企業価値200億ドル(2兆円)とも言われるデータ分析企業ですが、米軍、国防総省、FBI、CIAといった国家の主要機関を顧客に抱え、多くの機密案件を扱っているため、公開されている情報は多くありません。「パランティア」の情報分析、データ分析は非常に優れており、分析の手法の高度化、統合化(ダイナミック・オントロジー)が、秀逸であると言われます。

 GAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)のようなビッグテックが、近未来に訪れるというシンギュラリティ(技術的特異点、AIなどの技術が人間より賢い知能を生み出すことが可能になる時点)の社会で、人類の運命そのものを左右する主人公のような企業になるのか、それとも、AIが倫理的価値や判断まで成し得るのではなく、AIをコントロールする崇高な人間の座は絶対に揺るがないと見るピーター・ティールの「大いなる異論」の方が妥当なのかという観点の根本的な衝突が、GAFAとピーター・ティールの間に見られます。

 この問題は、ITの上にあぐらして、自ら「神の座」に座っていると勘違いしているGAFAへの痛烈なティールの批判なのです。その分、ティールの方が謙虚であると言えます。

2021年7月12日

共創日本ビジネスフォーラム研究所

 

 

深智録 第99回「グレゴリー・マンキューの教科書的な才能」

「マンキューは思索と実践(大統領経済諮問委員長)から理論を磨いた」

 グレゴリー・マンキューは、プリンストン、MITなどで学び、秀才肌ですが、その学歴通り、ハーバードで経済学部教授として教鞭を執り、経済学全般、すなわち、マクロ経済学を中心としつつも、ミクロ経済学まで包含する博学な知識を披露しています。とらわれない視点で広くあらゆるテーマを掘り下げると同時に、非常に慎重に判断する所もあり、自由な発想を持つ知性人としての調和主義をベースに論理を展開する才能は、教科書を書くにはもってこいの才能を有していると言えます。

実際、彼の書いた本は、世界中で教科書として用いられており、大学でマンキューを学ばない学生はいないと言ってよいほどでしょう。ただ、彼がやや保守的な学者であることは確かで、ケインズに立脚しながら、フリードマン的な減税政策(ブッシュ政権が採用)にも理解を示すところに、マンキューの柔軟性があります。それは、1990年代から2010年までのほぼ20年間、アメリカが辿った経済政策の「変動性」をなぞるかのようなとまどいが、マンキューを悩ませ、ニューケインジアンにしたと見るとき、彼の柔軟性を理解できます。

 20世紀が、ケインズ的な時代であったことは、資本主義の財欲の嵐が吹き荒れた1920年代のアメリカ経済の行き詰まりに端を発し、修正資本主義の必然性を多くの人々が感じ認めたことにあります。特に、大きな政府は、ケインズの故国であるイギリスにおいて、「揺り籠から墓場まで」という社会福祉政策の徹底によって、巨大な政府、お金のかかる政府(税金を多く集める政治)、お役人国家の実像で明らかになります。「英国病」と呼ばれる症状が問題視されるようになりますが、サッチャー政権の登場により、ケインズと距離を取る政策への転換が起きます。しかし、ハイエクの思想に立ったサッチャー革命も十分とは言えず、英国の苦悩は終わりません。結局、どこに答えがあるかという問いに対して、マンキューはニューケインジアンとしての答えを提示したものと見ることができます。

「マンキューの経済学の10大原理」

 マンキューの経済学の10大原理は、①人々はトレードオフ(二律背反)に直面している、②あるものの費用はそれを得るために放棄したものの価値である、③合理的な人々は限界原理に基づいて考える、④人々は様々なインセンティブに反応する、⑤交易はすべての人々をより豊かにできる、⑥通常は、市場は経済活動を組織する良策である、⑦政府は市場のもたらす成果を改善できることもある、⑧一国の生活水準は財・サービスの生産能力に依存している、⑨政府が紙幣を印刷し過ぎると物価が上昇する、⑩社会はインフレと失業率の短期的なトレードオフに直面している、の10項目に集約されます。

 簡単に表現していますが、相当の思索を重ねた上で発表しています。やや、抽象的な表現で一般化を図ることを狙っていますが、具体的に一つ一つが説明されるとき、人々は彼の真意を理解することができます(ここでは説明には言及しません)。

 ケインズ経済学は、畢竟、国民の自由な経済活動と、経済活動に対する国家の積極的な役割との関係を最良の基準まで探求する学問であると結論することができます。

2021年7月5日

共創日本ビジネスフォーラム研究所

 

 

深智録 第98回「アメリカの経済学的な現在地:マンキューとティール」

「アダム・スミスとケインズの思想的相克は21世紀にも続いている」

 経済思想の戦いは、自由な経済活動か、もしくは、規制が伴う経済活動かという「自由と規制」の二項対立の問題が基本的に存在します。

自由を掲げると放任的になり、政府の役割は減少しますし(小さな政府)、規制(干渉)を掲げ、規則を強調すると政府の役割が増大します(大きな政府)。自由な経済は民間の力を重視し、規制は政治(官僚・お役所)の力が大きく発揮されることを意味します。自由な経済は、民間の力をそがないように減税政策を採りますが、規制する経済は大企業などへの増税政策などを考えます。大雑把に言うと、そういうことになります。

21世紀の現時点において、ケインズ経済学をもう少しアダム・スミスの方に寄ったところに修正を加えたニューケインジアンとしての経済理論を主導するのが、グレゴリー・マンキュー(1958-)の経済学であり、もう一方のアダム・スミスの現代修正版とも言うべきリバタリアニズムを自認する企業家が、ピーター・ティール(1967-)です。マンキューは純粋な経済学者であり、ティールは企業家、ならびに投資家であります。

「マンキューとティール」

 グレゴリー・マンキューは、米国ニュージャージー州の出身で、ウクライナ系移民です。プリンストン大学、マサチューセッツ工科大学で学び、ハーバード大学で教鞭を執った人物ですが、ブッシュ政権下で大統領経済諮問委員会の委員長を務めるなど、国家の経済政策にも関わっています。特に、ブッシュが2001年と2003年に実施した大型減税政策を支持し、ケインズの流れ(増税政策)をくむ経済学者でありながら、レーガンを支えたミルトン・フリードマンのリバタリアニズム型(自由至上主義⇒マネタリズム=貨幣数量説を中心とする)の政策を支持し、マンキューはニューケインジアンと呼ばれます。彼はケインズ経済学をアダム・スミスに寄せた所に落ち着かせたので、保守的な感じ(古典派経済学に接近)のするケインズ派と見ることができます。マンキューの経済理論は世界中で標準的な理論として学ばれている経済理論で、国家の適切な介入を許します。

 一方、ピーター・ティールは、ドイツ系アメリカ人で、企業家および投資家ですが、スタンフォード大学で哲学を学び、その後、スタンフォードのロー・スクールに進学して、卒業後は、いくつかの法律関係の仕事に携わっています。彼はPayPal(ペイパル、1998年創設)の創業者で、シリコンバレーのドンと呼ばれています。このペイパルの仲間からイーロン・マスクなども排出され、多くの人材が飛び立ちました。興味深いのは、シリコンバレーは民主党の巣窟であるにもかかわらず、ティールは、トランプの支持者であり、反共主義者です。2016年11月には、ドナルド・トランプの政権移行チームのメンバーになりました。2002年にペイパルを売却した後、ヘッジファンド(クラリウム・キャピタル)を立ち上げ、2004年には、ソフトウェア企業(パランティア)を設立し、現在までその会長を務めています。ほかにも多くの企業を設立し、また、様々な企業へ投資を行い、彼の活動は広く、旺盛で、活発です。ティールは斬新かつ革命的な発想を持っており、カリスマ的です。

2021年6月28日

共創日本ビジネスフォーラム研究所

 

 

深智録 第97回「スティグリッツとクルーグマン(その2)」

「経済変動の激しい21世紀に、多くの発言を行う」

第二次世界大戦後の日本は、護送船団方式で、政府主導の社会主義的なケインズ型の政策を永らく採用し、それがうまくいって、素晴らしい成功体験を享受した日本でしたが、幸か不幸か、その日本経済が脆くも崩れ去っていく光景を世界は目にしました。ジャパン・アズ・ナンバーワンとして日本経済を称賛した世界の論調が、手のひらを反すように変化する中にあって、再び、アメリカをケインズに回帰させようとする意図を強く示したスティグリッツとクルーグマンにとって、日本のケインズ型経済の沈没は非常に気になる所であったはずです。二人は、アメリカの行き詰まり、そして日本経済の沈没の理由に目を向けました。

スティグリッツは、中央銀行の在り方について苦言を呈することが多く、フリードマンのマネタリズム(中央銀行が貨幣供給の調整をうまくやりさえすれば、経済は順調にいく)の考えでは、難局を克服できない現実を認識しました。単純な中央銀行による貨幣数量説を唱えるマネタリズムには根拠がないと手厳しく、欧州中央銀行(ECB)やアメリカ連邦準備理事会(FRB=アメリカの中央銀行)の超緩和政策に懐疑的な発言を行います。マネタリズムでは、市場のマネーゲームが加熱するだけで、銀行や投資家の私利私欲の追求(=貪欲)を招き、歪んだグローバリズムが、結局は、世界を不幸にすると断言したのです。

 クルーグマンは、基本的には大恐慌時のニューディール政策の信奉者ですから、ケインジアンの代表であると言えますが、2007年に発生した「世界金融危機」が、2010年を超えてもなかなか終息しない現実を直視しながら、様々な発言をメディアで賑わせました。

 日本に関する発言も多く、財政政策(大幅な財政出動)を強調することもあれば、金融政策(紙幣の大量増刷)の可能性を述べるときもあるといった具合で、発言内容は一貫していませんが、90年代から陥った「失われた20年」のデフレスパイラル、この日本の失敗を批判したことを、クルーグマンが真摯に詫びる場面があり、その理由は、日本以上の失敗を欧米はやらかしたと「リーマンショック」「世界金融危機(2007年~2010年代前半)」を容易に克服できない現実に大きな失望を感じたことにありました。

 ブッシュ政権の対テロ戦争を厳しく批判したクルーグマンでしたが、同様に、スティグリッツも300兆円を無駄遣いしたイラク戦争の正当性を疑いました。戦争経済で潤うこともあれば、そうでない場合もあり、アメリカの財政赤字は、明らかに、ベトナム戦争以降、たびたび関わってきた多くの戦争に巨額の戦費を投入したことが考えられます。2000年代、「サブプライム住宅ローン」という金融商品で投資銀行が荒稼ぎした後に、そのあおりを受けて、欧米の金融業界を襲った「世界金融危機」であったことは明白でしたが、そもそも、こういうお金が、回り回って、戦費補充に使われていたとすれば、合理的な経済政策などは不可能であり、不透明で説明困難な経済動態を国家自体が抱え込むことになります。

「経済から見る人類平和への希求」

 スティグリッツとクルーグマン、この二人のノーベル賞受賞学者の考察と提言は、21世紀、人類が抱える問題克服の為の思索と要請であり、人類平和への希求と言えるでしょう。

2021年6月21日

共創日本ビジネスフォーラム研究所