連載ビジネス人物学「深智録」

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深智録 第117回「稲盛和夫:利他の心で起業し、大企業を経営した男」

 

「稲盛和夫に見る宗教心」

 いろいろと言われてきていることであり、指摘されることではありますが、二宮尊徳に始まり、渋沢栄一、松下幸之助などに見られる日本型経営の本質は、その核心部分に「倫理道徳」、「宗教的精神」が脈打っていることであり、単なる金儲け主義、利己的欲心を達成すれば、それでよいというようなものではありません。高い道義心、公徳性、公益主義が、企業の社会的責任を訴えており、日本の企業を単なるモノ作りに終わらせることなく、国家、世界、人類の福祉に貢献する道を歩むべきことを言明しています。

 稲盛和夫もまた、先哲の道を踏む一人であり、その精神は全く変わりません。彼の場合、1997年9月7日、京都、八幡の円福寺(臨済宗)で得度し、「大和(だいわ)」という法名を頂いたことが、その宗教心を語っています。「大和」の「和」は、和夫の「和」に通じています。このお寺の師は、臨済宗妙心寺派の円福寺の西方擔雪(にしかたたんせつ)老師です。京セラ創業の際からの縁があり、何かと教えを乞うていますが、西方老師と稲盛和夫は昵懇の間柄です。得度は、僧侶となるための出家の儀式ですから、稲盛和夫は僧侶でもあるわけです。彼の中には、絶えざる信仰心が働いて、仕事をしているのだと見る必要もありませんが、ただ、並の宗教感覚ではない精神の働きがあることは認めざるを得ないでしょう。

 稲盛和夫の信仰心を鑑みて、彼の経営哲学を別の言葉で表現し、「心の教え」であるかのようにすれば、以下のようになるものと思われます。

「人間には確かに運命があるが、大切なことは幸福であれ、災難であれ、神様が与えてくれた試練なのだと受け止めることです。幸運は感謝の気持ちで受け止め、慢心せずにさらに努力をすること、災難は嘆かず、恨まず、腐らず、妬まず、愚痴をこぼさずに、明るく前向きに努力を続けることです。心の中に善き思いを描き続けることが、最も大切なことなのです。人間として正しい考えを持ち、一生懸命努力を続ければ、必ず夢は実現します!」

「未来にも通じる日本型経営」
21世紀、日本企業の人類全体、世界への新たな出発が必要です。その出発を祝うとすれば、二宮尊徳や渋沢栄一、松下幸之助や稲盛和夫が口を酸っぱくして語っている「利他の心」で活躍する日本企業の輝きを見なければなりません。また、日本型経営の良い点を見直し、稲盛和夫が実践して見せた心の経営システムを世界もまた学ぶとき、21世紀は必ずや祝福されたものとなるでしょう。

 稲盛和夫という人物の評価はいろいろあるでしょうが、この人物は嘘をつかない、実直に物を言うという印象が強いように思われます。彼の言った言葉の中に「神が手を差し伸べたくなるぐらいにまでがんばれ。」というのがあり、これを人に言い、自分はそうしていないというのであれば、彼は嘘つきです。しかし、彼の人生の隅々とまでは言わなくても、やってきた彼の事績を調べれば調べるほど、「ほんものだなあ」という思いになります。21世紀をリードする日本の姿は、「利他の心で世界を引っ張る日本」、そして、稲盛和夫の言う「神が手を差し伸べるぐらいにまでがんばる日本」、この二つではないでしょうか。

2022年1月11日

共創日本ビジネスフォーラム研究所

 

 

深智録 第116回「稲盛和夫:世のため人のため国のために献身」

 

「アメーバ経営とは何か」

 現場実践の中から、肌身でつかんだものを、そのまま、経営の骨子に据え、京セラの社員たちおよび彼の経営を学ぼうとする全国の企業人たちに檄を飛ばす稲盛和夫ですが、彼は、うわべを飾ることを嫌い、真っ正直に物を言う薩摩人であるというイメージを与えます。従って、彼の経営哲学は机上の空理空論を語ることをよしとしません。実践の中から得た、生きた教訓をみずからの経営哲学とする、そのようにして得られたものが彼の言う「アメーバ経営」です。小企業から中企業へ、中企業から大企業へと成長発展を遂げてきた京セラの経営は、まさに「アメーバ経営」の賜物です。

 アメーバ経営は、稲盛が京セラを経営する中で創り出した独自の経営管理手法ですが、組織をアメーバと呼ぶ小集団に分けます。各アメーバのリーダーは、それぞれが中心となって自らのアメーバの計画を立て、メンバー全員が知恵を絞り、努力することで、アメーバの目標を達成していきます。そのようにして、現場の社員一人一人が主役となり、自主的に経営に参加する「全員参加経営」を実現していきます。

 アメーバ経営は京セラをはじめ、稲盛が創業したKDDIや再建に携わったJALなど、全国の約700社に導入されています。アメーバ経営にする目的は、「部門別採算制度」、「人材の育成」、「全員参加経営」を達成するためであることを、稲盛は語っています。

 アメーバ経営が、なぜ、大きな鍵を握っているのかと言えば、人の心をベースとした経営であるからだと、稲盛は言います。非常に移ろいやすいのも人の心なら、ひとたび結ばれると世の中でこれくらい強固なものはない。歴史を紐解いても、人の心が如何に偉大なことをなし得るかということは枚挙に暇がない。集団を率いていくには、結局、人の心を頼りにする以外にない、そう考えて経営に暗中模索する中で、アメーバ経営なるものが生まれたというのです。

「JALの再建に取り組む」

 一介の小企業から大企業へと、企業経営に取り組んできた稲盛和夫の経営手腕と実績が買われて、JAL再建の大役が、当時の政権から稲盛和夫に要請されることになりました。

2010年1月、JAL(日本航空)は、2兆3,000億円という事業会社としては、戦後最大の負債を抱えて、会社更生法の適用を申請し、事実上倒産しました。この再建に臨んだ稲盛和夫は、JAL再建は難事であることを十分に理解しつつも、果敢な取り組みを見せます。不可能とも思われたJAL再建を見事に果たし、わずか2年8カ月で再上場への道を拓きました。

破綻当初のJALは、倒産したことに対する危機感や当事者意識が欠けており、社員の一体感もなく、再建は不可能とさえ言われていました。そのような中で、稲盛がJALへ携えていったのが、「フィロソフィ(行動規範)」と「アメーバ経営(手法)」でした。「JALフィロソフィ」が策定されたことにより、JAL全体に共有すべき共通の価値観が生まれ、全社員の意識改革が進みました。アメーバ経営の導入は、社員一人一人に経営者意識を与え、全社員が主体的に考える社風を生み出し、奇跡的な再建へと突き進んだのです。

2021年12月27日

共創日本ビジネスフォーラム研究所

 

 

深智録 第115回「稲盛和夫:利他の心が命じる新たな事業熱の爆発」

 

「1980年代、利他の心で事業フル展開」

 1971年(39歳)、京都セラミックは大阪証券取引所に上場します。創業12年のスピード成長で一流企業の仲間入りを果たすことになります。

 1973年のオイルショックの経験から、石油資源に依存することの危うさを学び、太陽エネルギーの開発(太陽光発電の事業化)に取り組み、1975年(43歳)に設立されたのが、「ジャパン・ソーラー・エナジー」です。高いコストのため、悪戦苦闘が続きますが、研究開発の甲斐あって、1982年、多結晶シリコン太陽電池の量産に世界で初めて成功しました。

その後、この技術は世界中で使われるようになります。住宅用の太陽光発電システムなど、地球温暖化対策は人類共通の課題であり、クリーンなエネルギーを作り出す、太陽光発電の重要性はますます高まってきている傾向にあります。

1982年(50歳)、社名を「京都セラミック」から「京セラ」へと変更し、稲盛の事業熱は高まる一方で、この時点で、創業以来積み立ててきた手持ち資金は1,500億円に達していました。こういった財務環境の好条件から、稲盛は、1983年(51歳)、京セラの取締役会で第二電電(現KDDI)という新会社を作ることの了解を求めました。

これは、電電公社(現NTT)の民営化など通信事業が自由化の方向に向かった当時の背景を受けて、稲盛が起こした行動でしたが、その時の心境を多くの出版物が取り上げており、一大決心であったことが分かります。

半年間、自分自身に問いかけ、「国民の利益のためにという動機に一点の曇りもない(私心からのものではない)」ことを確信した稲盛は、1984年、京セラが中心となり第二電電企画(後の第二電電=KDDI)を設立するに至りました。現在では、携帯電話の「au」ブランドなど、多様な通信サービスを提供しています。
 1984年、稲盛は稲盛財団を作り、以来、毎年秋に人類の発展に貢献した世界の優れた科学者や哲学者、芸術家などに「京都賞」を贈っています。

「稲盛経営の12箇条」

 稲盛経営の12箇条を見ますと、「強烈な願望を心に抱く」(第3条)、「誰にも負けない努力をする」(第4条)、「燃える闘魂」(第8条)、「思いやりの心で誠実に」(第8条)などのきわめて精神論的な文言が、当たり前にように呈示されており、経営は心のありかたで決まるといったメッセージが流れてきます。

そのようにHeart重視型の経済活動で稼いだお金を預かる経理の方では、稲盛会計学の7大原則が示す「キャッシュベース」「ダブルチェック」「採算向上」「ガラス張り」などの文言通りの、筋肉質で質実な会計方式、言い換えれば、プロテスタント的、武士道的な、経理を実践していると言った印象を受けるのです。

こういった古典的な響きを持つ経営精神、金銭感覚でありながら、「モノ作り」においては最先端の技術を追求して走る集団、「超努力集団」の京セラ、薄っぺらな経営や会計を徹底的に嫌う完璧主義の禁欲性が見え隠れします。好むか好まないかは、人それぞれです。

2021年12月20日

共創日本ビジネスフォーラム研究所

 

 

深智録 第114回「稲盛和夫:大きな業績を成し遂げた偉大な起業家」

「日本を代表する経営者」

 いまや日本を代表する経営者として、世界にまでその名を知らしめる活躍と業績を残した稲盛和夫(1932~)の存在感は、非常に大きなものになってきていると言えます。彼は京セラやKDDIを創業し、それぞれ1.5兆円、4.9兆円を超える大企業に育て上げ、倒産したJALの会長に就任すると、わずか2年8カ月で再上場へと導きました。

 中小企業経営者の勉強会「盛和会」の塾長を務め、1万2千人以上の経営者から師と仰がれているほかに、日本発の国際賞「京都賞」を創設し、人類社会に貢献をもたらした人物の顕彰を続けています。

 稲盛和夫の多岐に亘る活動の根底にあるもの、それは「利他の心」です。「経営の神様」と言われる松下幸之助を尊崇し、松下に続いて、「新経営の神様」とも呼ばれるようになった稲盛和夫を知ることは、すべてのビジネスマンにとって、学ぶことの多い人物であるに違いありません。

「鹿児島で生まれ育ち京都で一大起業人生をスタートさせる」

 1932年、稲盛和夫は、鹿児島市薬師町に、7人兄弟の次男坊として生まれました。13歳のとき(1945年)、肺浸潤(結核)で病床に臥せるなか、近所の婦人から勧められた宗教の本を読み、心のありようを考えるきっかけを得ました。大阪大学医学部への入学に失敗し、結局、19歳のとき(1951年)、鹿児島大学の工学部応用化学科に入学します。

 大学卒業後、不況で就職難の中、教授の紹介で京都の松風工業(日本で初めて高圧碍子を開発)へ入社しますが(22歳、1955年)、3年のち、退社します。理由は、上司である技術部長と技術開発の方針で衝突したことにあります。

しかし、天は稲盛和夫に味方し、次々に、新会社のために必要な人材の援軍を送りました。

青山政次氏とその友人の西枝一江氏らの支援を受けて、1959年4月1日(27歳)、従業員28名を集めての新会社の設立、すなわち、「京都セラミック株式会社」の創業となります。会社は創業の年から黒字経営で順調なスタートを切りました。

 1960年代には、テレビ、ラジオなどにトランジスタが大量に使われるようになっていたので、京都セラミックはその部品開発に成功、米国や香港の会社から大量注文がもらえるようになっていました。特に、IBMとの取引は京都セラミックを大きく押し上げました。

 1966年、米国の大手コンピュータ会社IBMから大型コンピュータ用の集積回路用基板2,500万個の注文を受け、その高い品質要請を成し遂げ、製品化して、無事に、IBMに納めました。社員は歓喜し、稲盛も自らの信念に対して確信を深めました。

「人間の能力は無限である。何としてもやり遂げるという強い願望をもって努力を続ければ、不可能に思えることも可能になる」という信念に間違いはない、稲盛和夫はそう確信します。このIBMとの取引を通じての大きな成功体験は、彼の経営哲学の基底を成す「強い願望」「たゆまぬ努力」「不可能を可能に変える信念」などのキーワードを生み出したものとして見てよいでしょう。

2021年12月13日

共創日本ビジネスフォーラム

 

 

深智録 第113回「民主主義と人間の安全保障:アマルティア・セン④」

「経済に倫理的な基礎を打ち込む」

 1997年から2000年の間に、世界各地で行ったアマルティア・セン氏の講演の主題は、①危機を超えて、②人権とアジア的価値、③普遍的価値としての民主主義、④なぜ人間の安全保障なのか、の四つであります。

 開発(development)と言った場合、通常は、所得水準の向上、個人所得の向上などを意味しますが、センの場合には、彼自身が言うように、「開発を、人間の様々な自由の拡大のためのプロセスとして理解する」ということになります。

 このような見方をするセンの思想は、ベンガル大飢饉(1943年、300万人死亡)、エチオピア飢饉(1984-985年、100万人死亡)、バングラデシュ飢饉(1974年、2万6千人死亡)などに基づく実証研究から、近・現代における飢饉は物理的な食料不足で起きているのではなく、政治・社会的要因により生じていることを理解しているからです。

 人間としての選択の幅の自由を奪われた状態(政治的、制度的抑圧)、すなわち、生活必需品の購買力やその権利の突然の剥奪が問題であり、自らの前に開かれた種々の経済的機会を利用しうる能力としての「潜在能力(Capability)」の欠如が問われていると見るからです。このように、一見、平凡に見える「潜在能力」という概念は、それまでの権威あるとされてきた幾多の経済理論に強烈な打撃を与えるものでした。経済活動における人間の動機の構造を倫理的な基礎からとらえ直す必要があると、センは主張します。

 他者の存在に道徳的関心を持ち、他者との関係を自己の価値観に反映させて行動すること、つまり、社会的コミットメント(関与、介入)できる人間を置かなければならないと考えたのです。

「民主主義の擁護、人間の安全保障」

 アジアの興隆・発展を考えるとき、センは、多くの専門家が言う「生産性」に依拠したアジアの成功という見方は一面的であり、全体像を捉えていないと言います。アジアの発展は、発展の初期段階から人間の基本的な潜在能力の拡大を中心とする教育や医療の生活の質的向上に対する公共政策の基盤があるとします。

 センの視点は、民主主義と自由の体制をどこまでも擁護する姿勢を崩しません。アジアの特殊性を論じる人々は、アジアの自由権は、西洋に比べて、抑圧されたままであるとか未熟であるとか批判しますが、儒教の言う「良き社会」、仏教の言う「善良な生活」は、「自由に対して価値を認める見解と完全に一致している」と論駁し、アジア特殊論を退けます。

 センは、1985年から国連の世界開発研究所の創設へ参画し、1990年から国連開発計画(UNDP)の「国連人間開発報告書」の策定に関わってきました。さらに1994年の同報告書はポスト冷戦期の新たな安全保障概念として『人間の安全保障』という概念を打ち出しています。生存のための安全保障の柱として「健康、平和、そして人間の尊厳」を挙げ、これらの問題に取り組む人々の必要性が大きく開かれました。民主主義の擁護、そして人間の安全保障を掲げるアマルティア・センは、まさしく、経済・倫理の統合人のモデルです。

2021年11月29日

共創日本ビジネスフォーラム研究所

 

 

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